ポール・クローデル作『繻子の靴』について
今や20世紀最大の劇詩人として、
フランスではパリのみならず、
地方の演劇センターや劇団で上演が絶えないクローデルは、
同時にキャリアーの外交官でも在り、駐在地の文化を貪婪に吸収し、
グローバルな視座をもつ戯曲や詩篇、エッセーを残している。
特に日本には1920年末から1927年初頭まで、
間に約一年間の休暇を挟んで滞在し、
近代化途上の日本人と日本の伝統文化について、
極めて示唆に富むエッセーや詩篇を残した。
しかしなんと言っても、日本滞在中の最大の収穫は、
大作『繻子の靴』であり、詩人・劇作家・文明批評家クローデルの
文字通りの総決算であった。
「四日間のスペイン劇」と副題されているが、
通常の劇場習慣からすれば、ゆうに4回分の分量を持つため、
1943年のコメディ=フランセーズ初演に際しては、
劇詩人と演出家ジャン=ルイ・バローの共同作業で
「上演版」を作ったほどである。
この「上演版」は以後、バロー劇団のレパートリーとして、
劇団の独参湯(どくじんとう=上演すれば必ず当る作品)にまでなった。
しかしこのバロー・ヴァージョンは、
「四日目」部分を最終景を除いて全てカットしたから、
『繻子の靴』という「世界大演劇」の
重要な局面が見落とされることとなった。
特に「四日目」は単なる「後日談」ではなく、
第二次世界大戦後の前衛劇である
「不条理演劇」の先取りでもあったから、
1972年にバロー劇団が、
サーカス・テントを使って初演したのをきっかけに、
1987年のアントワーヌ・ヴィテーズ演出以来、
「四日目」を含む「全曲版」を上演するのが
『繻子の靴』上演の定式となった。
今回の京都芸術劇場春秋座公演も、
日本で始めて「全曲版」に挑むものであり、
同劇場15周年の演目の中でも、最も大胆な企画の一つである。
特に注目すべきは、幾つかのカット部分を除いて、
「四日間」の全曲版を目指すものであり、
特に高谷史郎のマルチメディア映像を駆使した作業は、
役者の稽古と平行して、既に二年前から実験を進めている。
単に「日本初演」と言うだけだなく、
フランスやドイツにおける「全曲上演」では明らかにならなかった局面を含めて、
この「世界大演劇」の深層とその変奏とを、舞台上に出現させるという、
世界的に見ても画期的な企画である。